平安~室町時代(2)

ウェブ番号1003978  更新日 2021年2月10日

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平安~室町時代(2) 中世の信仰

経塚(きょうづか)

わが国に仏教が伝来したのは6世紀半ばで、朝鮮半島の百済から仏像や経典が伝わってきました。

経塚は、経典を書写し供養した後に、銅や陶磁器製などの容器に納め、地下に埋納して、未来永劫に保存するという目的で造られた仏教遺跡です。経塚の造営は平安時代に流行した末法思想に影響されていると言われ、平安時代末期から鎌倉時代が造営の中心でした。その目的も時代をおって極楽往生、死者への供養などへと変わっていきました。経筒の他に青銅鏡や青白磁の合子なども埋納されました。

川上大辻出土石塔婆(かわかみおおつじしゅつどせきとうば)

写真:石塔婆

板状の供養塔で通常板碑と呼んでいます。頭部を山形にし、正面には仏・菩薩の像、梵字、願文などを刻みます。この石塔婆は、滑石製で、総高は56.8センチメートル。銘文から、文応2年(1261年)の彼岸に、藤原国守とその妻の菩提を弔い極楽往生を願って、六千本の卒塔婆とともに建立されたものです。鎌倉時代中期の板碑として全国的に見ても古く貴重です。(市指定有形文化財)

聖山経塚笠塔婆(ひじりやまきょうづかかさとうば)

写真:笠塔婆

笠塔婆(かさとうば)は四角柱状の塔身に笠石をのせた形の供養塔で、平安時代末期から造らています。東岐波王子の山中に積石塚があり、その中央部に笠塔婆が建てられています。安山岩製で、総高85.5センチメートル。塔身には梵字の他に銘文が刻まれ、暦応4年(1341年)に、僧浄心を供養するために建立されたことがわかります。市内では唯一の例であり、紀年のある笠塔婆としては、県内第2位の古さです。(市指定史跡)

王子出土の五輪塔(おうじしゅつどのごりんとう)

写真:五輪塔

五輪塔(ごりんとう)は一般に供養塔として建てられたもので、南北朝期以降は墓と考えられるものが現れます。上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と呼んでいます。この五輪塔は石灰岩製で、高さ62.7センチメートル。南北朝期の典型的な五輪塔で、特に、火輪の屋根部分に刻銘があるものとして貴重です。「康永四年 正月五日」(1345年)(市指定有形文化財)

浄名寺鰐口(じょうみょうじわにぐち)

鰐口(わにぐち)は社寺の軒下に掛けられ、参拝者が祈願のため、鰐口の前に垂らした綱で叩いて鳴らす金属製の信仰用具です。中は空洞で側面の下半分は鈴のように細長い口があり、下から見ると鰐が口を開けているように見えます。他にも東岐波の王子権現社、厚東の浄念寺、持世寺などに伝わっています。

この鰐口は青銅製で、直径40.6センチメートル。僧尊通が、寛正5年(1464年)鋳物師藤原実包に作らせたものです。銘文が陽鋳(浮彫り)され、当初から浄名寺に掛けることを目的に作られた特注品であることを示しています。県内の中世鰐口の中で、陽鋳銘を持つ唯一の鰐口です。(市指定有形文化財)

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