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宇部を食べよう

更新日:2018年3月31日

知恵・技・文化

農業や水産業は産業であるとともに、先人達から継承されてきた知恵や技を含む、地域の伝統的な文化を継承する活動でもあります。市内で見られる農業文化や食文化にはどんなものがあるのでしょうか。

「知恵」~伝統行事の中に見られる生活の知恵など~

どんと焼き(市内各校区)

どんと焼き

どんと焼きは古代の宮廷行事の左義長が民間に広まったものとされ、燃え盛る炎の中に書初めを投げ入れると、書道が上達するとされています。

厚東校区のどんと焼きは孟宗竹で櫓(やぐら)を作り、周囲にしめ縄を張って五穀、昆布、清酒、野菜、果物等を祭壇にささげて祝詞をあげ、火をつけて始まります。祝詞の呪文や結界の形等は最も古い形式が継承され、供物の内容も昔の食事形式の名残りと考えられています。

岡田屋百手神事(原校区)

岡田屋

伝承によると、岡田屋百手神事は室町時代に岡田屋で疫病を払うため、疫神にみたてた的を弓で射る神事として始まったと伝えられ、市の無形民族文化財に指定されています。
この神事にともなう食事には、必ずイイダコの煮付けが付けられ、江戸時代に遠浅の海を干拓して作られた、厚南平野の古い食文化の一端がうかがえます。

亥の子打ち(東岐波校区)

亥の子

東岐波校区には、11月にわらで作った「ワラすぼ」と呼ばれる道具を持った子ども達が集まり、地面をワラすぼで打ちながら集落を巡る「亥の子」という行事があります。地面を打つことで土の中のモグラを払い、地力の回復を祈る豊作祈願と言われています。亥の子はふるさと運動の一環で子ども達にワラすぼの作り方や亥の子歌等とともに継承され、欧米のハロウィンに似た楽しい冬の三世代交流行事として定着しています。

願ほどき(土手まつり:厚東校区)

7月の夕方に大歳神社で神事が行われた後、榊と御幣、おごく(白飯)が備えられた厚東川の堤防に集合し、麦わらの束に火をつけ、たいまつのように燃やしながら川土手を約100メートル走る行事が、広瀬の「願ほどき」という行事で、別名「土手まわり」とも呼ばれます。

火のついた麦わらを持って走るのは子どもだけで、洪水から田畑を守る堤防と、川の神様(竜神)への感謝を込めて行う行事と伝えられています。

しろみて神楽(市内北部地区)

江戸時代にまとめられた防長風土注進案には、農繁期が一段落した7月の行事として「しろみて神楽」の記録があります。この行事は「膝いやし」とも呼ばれ、農繁期で酷使された下半身を癒し、秋の農繁期を前に地域の連携を高めるための行事です。

現在も「しろみて神楽」は農繁期の納会として、家族単位や集落単位、校区単位で行われ、農業を軸に地域で助け合う絆として継承されています。

「技」~伝統的な技術、食品の加工方法など~

編み製品

編み製品

日本人は縄文時代から植物のつるや茎を利用して、かごやあみ等の日用品を作っていました。現在、国内で職業として編み製品を作る人はほどんどいなくなりましたが、かずらや竹、柳などの天然素材に加え、新たな素材を利用して、趣味で編み製品を作る人が増え、市内の農産物直売所でも、これらの手芸作品を販売しています。

梅干し

梅干

和食の基本であるご飯、味噌汁、漬物の形式は、鎌倉時代に定着したとされています。すでに平安時代の文献には、楡木(にらき)、搗(つき)、須須保利(すすほり)等の塩漬の記録があり、既に平安時代から多くの漬物が作られていたことがわかります。

特に梅干しは疲労回復作用のあるクエン酸を含み、武士の兵糧や保存食として、鎌倉時代に全国に広まった漬物とされています。市内の多くの農産物直販所では、地元で作られた梅干しが販売され、自家用に漬ける人のために、6月には梅の実も販売されています。

(写真は鎌倉時代の武士の食事を再現したものです。)

味噌

宇部小町味噌

味噌は奈良時代には作られ、当時はご飯のおかずとして食べていました。味噌汁として飲み始めたのは鎌倉時代からで、武士が兵糧の味噌を湯に入れて飲み、その美味しさを全国に広めたとされています。

戦前までの農家では、各家庭で普通に味噌を作っていましたが、戦後の生活様式の変遷により、家庭で味噌を作る家はわずかになっています。市内ではJA山口宇部宇部支店女性部が、昔ながらのむしろを使って作った「宇部小町味噌」を生産・販売しており、先人達の発酵技術を今も継承しています。

「文化」  ~宇部市の郷土料理・菓子など~

茶粥

茶粥

瀬戸内海の沿岸部では、江戸時代に紀州の漁師が伝えたとされる茶粥が郷土料理として伝わり、東岐波や西岐波等では今も朝食に茶粥を食べる習慣が残っています。お茶は鎌倉時代に臨済宗を日本に伝えた栄西が効用を広め、江戸時代には一般に飲まれるようになりました。当時は県内各地で自家用にお茶が作られ、その一部が防長茶の名称で流通していました。現在では宇部市が県内最大のお茶の産地となっています。番茶で炊いたシンプルな茶粥の他、サツマイモや豆、かき餅、大根などを加えた茶粥もあります。

ゆうれい寿司(楠地区)

ゆうれい寿司

日本人が普通に白米を食べられるようになったのは戦後のこととされます。市史によると、明治時代の宇部では、普段は主食として麦飯や大根飯、小麦団子、そばがき等を食べ、正月や盆、稲刈りなど、年間十数日の式日だけ白米を食べていたとあります。吉部地域で継承されてきた「ゆうれい寿司」は、白米が食べられる嬉しさを全面に表現した押寿司で、表面に具材を置かないのが特徴です。幽霊の絵を色白で足のないように描くのは江戸時代以降なので、名前から江戸時代以降に作られた寿司と考えられます。

けんちょう

けんちょう

山口県の郷土料理「けんちょう」は、中国の「ケンチャン」という料理が名の起源とする説と、鎌倉の建長寺から伝わったという説があります。建長寺は北条時頼が開いた臨済宗の寺院で、当時は同じ宗派の寺院間交流が盛んだったので、建長寺で作られていた料理が同じ臨済宗の厚東の東隆寺に伝わり、けんちょうとして広まったのかもしれません。当時は料理に油を使う習慣がなく、最初に豆腐と大根等の具材を油で炒めるけんちょうは、当時の人々にとって、とても斬新な料理に感じられたと思われます。

 

竿まんじゅう(楠地区)

竿まんじゅう

竿まんじゅうは吉部地域で室町時代からつくられているとされる餅菓子で、形状から薙刀餅(なぎなたもち)の別名があります。もち米ではなく、うるち米の米粉を使った餅菓子は全国的にも珍しく、生地とあんのバランスも良く、彩の美しい郷土の菓子です。竿まんじゅうは、宇部市吉部の農作物直売所「おいでませ吉部」で毎週第1・第3日曜に作られ、販売されています。 

凍り餅

凍り餅

かきもちは、鎌倉時代の武士が兵糧として広めたとされ、武士のたしなみとして、冬の寒さを利用して兵糧を作っていました。別名を凍り餅と呼ぶのもその名残で、大豆や食紅、アオサ、ヨモギ等を入れた色鮮やかな凍り餅が、今も市内の各地で作られ、農産物直売所等で販売されています。

お問い合わせ

組織名称:北部・農林振興部 農林振興課 農産物振興係

住所:〒757-0292 宇部市大字船木字東番田365番地1

電話番号:0836-67-2819

ファックス番号:0836-67-2316

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